その土地の歴史の厚みや自然の美しさを根っことして「その土地らしい」モノゴトをデザインすること。
あるいは、公民館や、市民センターなど、「市民のため」になっているような場のカタチをデザインすること。
いずれもカタチあるものを生み出すにあたって、否定しがたい設計者の美徳ではあります。
しかし、「東京」のど真ん中に、最も「東京」らしいやり方で、「現在」をいきいきと生きる者たちの場を生みだそうとしたとき、
あらゆる既存の美辞麗句によらない、新しい言葉を生みだすことが、その場をつくる者の誠意になることもあるのです。
ソニーが、長く銀座に根をおろしてきた既存の「ソニービル」の取り壊しと、
約二年後の新しいビルディング建設の間に、期間限定で実現したのが「Ginza Sony Park(銀座ソニーパーク) 」でした。
古い「ビルディング」から新しい「ビルディング」への「間」として構想された「パーク」というあり様。
ソニーの新しいビジョンは、カタチや量をもった新しいモノの姿が未来をつくるという「ビルディング」=ものづくりの楽観に対する疑義を孕んでいたようです。
銀座に長く根を持ち、場をつくってきた先行者の責任が、
あるいは、ものづくりの先端を走り続けたリーディング企業の誠意が、
「パーク」という反「ビルディング」を生み出すという逆説。
壊しかけのビルの残骸が残る「空き地」に、少しずつ人が集まり、通り過ぎ、出会い、佇み、すれ違い、
そして自分らしいやり方でその場所をいきいきと過ごし、結び合う人々のふるまいが、
ソニーという企業の目指すブランディングの新しい方向を喚起します。
止まることなく生まれ、変わりゆく「公園」=不在する建築の姿に、
次代のパブリックスペースの希望をみるのです。

文・写真:藤岡大学
Ginza Sony Park https://www.ginzasonypark.jp/